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はじめに                                                                    Introduction

 
 こんばんは! 篶囀(Enten)です。
 今宵は恐れ多くも井月の代表句に迫ってみました。
 といっても、井月に関しては多くの研究者あるいは井月を正しく理解できる関係者により多くの資料が発掘・保存・書籍化等されていますから、私ごときの「俄かファン」が知ったかぶりを書いても仕方ありませんので、今回の記事内容に関わる最低限のことだけを(割合無責任に(^▽^)/)書いて、あとはいつも通りに気負いなく、自然に鼻歌になったこの句を楽しんでみたいと思います。
 

井月:今宵の一句                                                                                                        Seigetsu:A haiku for tonight

  『落栗の座を定めるや窪溜り』
   (おちぐりの ざをさだめるや くぼだまり)

 根無し草、放浪の俳人と言われる井月が、生涯を通じて「あり得ない」と信じて疑わなかったであろう「入籍」が決まったのは1884年(亡くなる3年前)でした。
 その境遇を客観視し、『窪溜りに落ち着いた・・落栗』と自らを表現してみせたこの句は
今や井月の残した俳句の中ではあまりにも有名な一句となりました。 

【篶囀の解釈】
 幕末に伊那にやってきて以来、籍もなく、居場所もなかった井月が法律的にも、社会的にも「居場所」を得た。二十有余年の放浪生活にピリオドを打つ心境で、
 ① 何處からも、誰からも見向きもされず、ただ転がっていた自分は落栗。
でも、
 ② 転がった先に落ち着く場所があったんだよ! 
それが、
 ③ 窪溜り・・。
  自分を受け入れてくれた塩原家、そして伊那の地。
 『自分のような不器用でみすぼらしい存在であっても、この地面の小さな窪み(伊那谷)になんとか収まることができた。』

という安堵と感謝の念が込められているのだと思います。

 

【画像は生成AIを使用して作成しています】

 

 『井月年譜』によれば、井月の代表的著作「越後獅子(えちごじし)」「家づと集(いえづとしゅう)」に続く「余波の水くき(なごりのみずき)」が弟子の梅関(塩原折治)により開板されたのはこの入籍の翌年でした。
 その跋文に井月は

 『古里に芋を堀て生涯を過さむより、信濃路に仏の有りがたさを慕はむにはしかじと此伊奈にあしをとどめしも良廿年余りに及ぶ。取分親しかりける人々の、むかしを思ひ出して夜寒を語る友垣に換るものならし。
  明治十八酉の行秋  落栗の座を定めるや窪溜り  柳の家井月』 


と認めています。

【篶囀の解釈①】
 「芋を掘る」を『平凡に暮らす』という意味に捉えれば・・・、
 ○ 故郷に帰って生涯を平凡に暮らすより、信濃の地を仏の道を求めて生き
  るほうが私(井月)には相応しいと思いこの伊那に留まった・・・が、
  気が付けばいつの間にか20年以上もここにいる。
 ○ 取分(とりわけ=特に)、親しくなった伊那の人々と昔の思い出を語り
  ながら寒い夜を過ごす、そんな「友人たちに囲まれる暮らし」が(今で
  は)かけがえのない貴重なものとなっている。

  

句碑近景                                                                                             Close-up of the haiku monument

 

篶囀の思い描く『この句のイメージ』 
The “image of this haiku” envisioned by Enten

誰かに拾われれば新たな役割も得られようが、誰にも拾われなければ雨にぬれ、土に埋もれ、やがて朽ちていくしかない・・・それが落栗。【画像は生成AIを使用して作成しています】

旋律譜:落ち栗の座
    (おちぐりのざ)                  
Melody score: Ochiguri no Za

鼻歌で囀ってみたよ
♬ I tried humming a tune

あとがき                                                                                                    Afterword

 今宵の句とほぼ同じ時期に、井月は『よし貞』名で『術懐』という詞書(ことばがき)を添えてこんな和歌(短歌)を詠んでいます。
                【新編漂浪俳人井月全集(2018年9月1日初版)より】

    

 『今は世に拾ふ人なき落栗のくちはてよとや雨のふるらん

【篶囀の解釈】
 『今はもう、誰も拾ってくれない落ち栗(自分)よ!
     このまま雨に打たれて朽ち果ててしまえ! というのか?』

 どう解釈しても悲壮感に満ちた(絶望感といってもよさそうな)リアルさを感じてしまいます。       
 ほぼ同じ時期に作られたと言われる井月の『落栗』作品ですが、17文字の俳句と31文字の和歌で、私(篶囀)自身の解釈が全く異なることに驚きました。

 ○ いずれが 本心なのでしょうか? 或いはいずれも 本心なのでしょうか?

 ○ 亡くなる数年前ですから、もしかしたら体調もすぐれず、井月の心境は揺れ動いてい
  たのかもしれません。

 ○ だから・・、いずれ 偽らざる井月の本心 なのでしょうね。

さて、次回の旋律譜は

    よく咲けば

 です。

2026.09.01㈫

○The guide for this blog is Enten(篶囀).
○This blog primarily features haiku by Seigetsu(井月).
○I’m humming the haiku I introduced, with a melody added to it.
○The author of this blog is Kakigui Houryu.(柿食法隆)

ABOUT ME
篶囀 Enten
昔は、還暦には赤いちゃんちゃんこを贈り長寿のお祝いをしていたようです。  さらに古希、喜寿、傘寿・・と長寿の御祝は続くのですが、平均寿命の延びが著しい現代では還暦の祝は「長寿」の祝でなく、「人生の節目」を祝う意味合いが濃くなっているようです。  我が家でも「60・70は鼻たれ小僧」とばかり、御祝の『お』の字もなく淡々と過ごしてきました。  私は還暦で第一の人生に区切りをつけ、『ご破算で願いましては・・』と第二の人生をスタート。(気持ちだけですが・・・)  第二の人生においても既に鼻たれ小僧を通過して今や「中学1年生」、思春期真っ只中です。  (o^―^o)ホホ   あれもやりたい、これもやりたいと、好奇心の塊で今は「井月」に熱中しています。