はじめに

ちょっと言い訳

 こんにちは! 篶囀(えんてん)です。
 恐れ多くも「井月の句に節を付けて囀ってみたい」思いが募り、前回の「目出度さも」でこのシリーズのスタートを切りました。
 よく考えてみれば、なんと思い切った行動を始めたものでしょうか。
 俳句にしても音楽にしても専門知識は全くないし、かといってホンの少しでも齧ってみたかというと「そうでもない」わけで、まったく思い付きだけの状態なんですね。
 譜面づくりもど素人そのものです。「親愛なるハ長調」を基本として何とか節を忘れずに「いつでも思い出せるように」との思いを込めて記録しているだけなのです。

 でも、鼻歌交じりに口をついて出てくる節(旋律)はどうしても捨てがたいわけで、何とか留めておきたいという思いは強いのです。
 
 この辺り、当ブログをご覧になられた方は拙さやぎこちなさを感じられると思いますが、ご理解をお願いします。


 

篶囀の思い描く『井月像』

「器用に鬼灯を鳴らす子供…」 を見つめる井月(イメージ)   【画像は生成AIを使用して作成しています】

井月:今宵の一句

鬼灯を上手に鳴らす靨かな
ほおずきを じょうずにならす えくぼかな

 本日の句は前回お知らせしておいたのですが、前回の句に節をつけてから5日後の2015年6月28日、自然に口から出てきた節なんです。
 真っ赤に色づいた鬼灯の外袋を破り、中の熟した実を指で揉みしだいて種を取り出すと空洞になった実が子供の恰好のオモチャになるんですね。
 口の中に入れて膨らませて噛むと「ブー」とか「キュー」という音がする・・・というワ
ケです。
 一説によると平安時代の宮中で楽しんでいたという記録もあるそうで、はるか遠い昔から大人も子供も身近な遊びの対象にしていたようです。
 しかし、結構作るのも鳴らすのもコツを要したようで、幼い子供は近所のお姉ちゃん達がササっと作り上げて悠然と鳴らす様を尊敬の眼で眺めていたようです。

【篶囀の解釈】
 ところが、中には器用な子供もいて、大人顔負けの速さで種をくり抜いて空
洞を作り、口に放り込むや否や軽快な音を響かせている子もいたようで、井月
はその様子を微笑ましくもじっと見つめていたんですね。
 この句は「子供」とは一言も言っていませんが、「靨(えくぼ)」が子供の
可愛い一連のしぐさを見事に表現している句だと、篶囀は感心しています。

     

句碑近影

●伊那市手良(いなし てら)の鉄人遊園に設置されている句碑です。
●下手良公民館正面玄関を背にして立ち、前方やや右に目をやるとすぐ見つかります。

旋律譜:鬼灯靨(ほおずきえくぼ)

あとがき

 産みの苦しみより育ての苦しみ??
 困難を極めてスタートした前回にも増してアレコレと苦心を重ね、ようやくできました。


 思いばかりが脳裏をよぎり、
 あれもこれもと欲をかくから苦労するのだと、自ら悟り、納得して作業を進めています。
 かのエジソンは言っています。

   『 私は失敗したことがない。
     むしろ一万通りもの上手く行かない方法を見出したのだ。 』


 さて、次回の旋律譜は

     春風・碁盤・置手紙

 です。

2026.01.17㈯

ABOUT ME
篶囀 enten
昔は、還暦には赤いちゃんちゃんこを贈り長寿のお祝いをしていたようです。  さらに古希、喜寿、傘寿・・と長寿の御祝は続くのですが、平均寿命の延びが著しい現代では還暦の祝は「長寿」の祝でなく、「人生の節目」を祝う意味合いが濃くなっているようです。  我が家でも「60・70は鼻たれ小僧」とばかり、御祝の『御』の字もなく淡々と過ごしてきました。  私は還暦で第一の人生に区切りをつけ、『ご破算で願いましては・・』と第二の人生をスタート。(気持ちだけですが・・・)  第二の人生においても既に鼻たれ小僧を通過して今や「中学1年生」、思春期真っ只中です。  (o^―^o)ホホ   あれもやりたい、これもやりたいと、好奇心の塊で今は「井月」に熱中しています。